2010年9月12日日曜日

先日

御来店のお客様は、年齢こそ違えど,俺と同じ 「香椎第二中」出身。 この東京において、思いっきりローカルな話が出来る嬉しい不思議。 さて、古〜い記憶ってのは少々面白いですよね、一生懸命思い出そうとして 「ポンっ」って出現したり、そこで大喜びするけれど・・・もしかしたら俺の創作が混じってたりしてって、自分の記憶を疑ったりして(笑)。
そこで俺の好きな曲の訳詞を紹介〜。消えない記憶に苦しんでいる男の歌です。
セルジュゲンスブールのラシャンソンドプレベールでーす、どうぞ〜!

ああ、お前にどんなに思い出して欲しいか この歌はお前のものだった
お前が好きな歌だった 俺は思うにプレベールとコズマの歌
枯葉の季節になるたびに お前を思い出す
日が経つにつれ 終わってしまった恋は
いつまでも消え・・・続ける

他の女にも、もちろん俺は身をゆだねる しかし彼女たちの歌はモノトーン
そして少しずつ俺は無関心になり そうなると打つ手がない
なぜなら、枯葉の季節になるたびに お前を思い出し
日が経つにつれ 終わってしまった恋が
いつまでも消え・・・続ける

人は永遠に、わからないのだろうか 無関心が いつ始まり、いつ終わるのか
秋が去り冬が来る プレベールの歌のように
この歌、枯葉が 俺の思い出から消える
その日こそ 俺の終わってしまった恋は
消えるのを・・・やめるだろう

どうですか〜?メランコリックなギターのしらべも秋の夜長にピッタリです。
詞は,「枯葉」と言う歌を聴くたびに 過ぎ去った恋とお前を思い出し、俺の心はざわざわと苦しい そんな内容ですね、誰にでも経験ある事ですよね。そして俺が、引っかかったのは
いつまでも消え・・・続ける
消える事が続く って、言葉の妙 に俺は、この苦しみは永遠に続くような静かで強い印象を受けた。忘れたいと感心を持っているために、消え・・・続ける想い。他の女には無関心になれるのに、お前との日々にはどうしても無関心には、なれない。どうしたら無関心になれるんだろう? 「でも 少しは傷も癒え始めたかもな〜って考えてたら、おっとっと!また思い出しちゃったよ〜」なんて、忘れたい忘れたいって思ってるうちは忘れられなくて。無関心の完成形を迎えないと真に忘れたとはいえないけど、「無関心になり始めたな〜」なんて意識すると無関心は振り出しに戻るし、ややこしいな。無関心に関心を持っては無関心ではないので、つまり
無関心が いつ始まり、いつ終わるのか
はやっぱり永遠にわからないのかもね
消えるのを・・・やめるだろう  これが無関心の完成形ですね。ここで初めて無関心について振り返る事が許されますが、そもそも完成形なので忘れています。あんだけこだわった無関心にも無関心なのです。そりゃ、始まりも終わりもわからないはずですよね。
この詞の俺が、過ぎ去った恋に想いを馳せ、未練たらたら あれこれ考えてる。 好きだな〜こういう人、そんな失恋ならとことん向き合うしかないしね。だからこそ色気が滲んでくるんじゃないかな〜。和訳詞ですが、想像力をくすぐる詞ですね。ゲンスブールやるな〜、プレベールの「枯葉」への敬意を、失恋という普遍的な題材に絡めメランコリックなギターにのせて、ぶっきらぼうに歌う。声も良いんです、初めて聴いた時ショックでした。ギミックの無い実直さで。そして後味は苦い。余韻は残る。強く。
記憶・・・皆さんは、胸をかきむしられるような褪せない記憶 ありますか?

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